TAKETURU’S SPIRIT IS FOREVER

1965(昭和40)年 ブラックニッカ発売

規模も売上げも次第に大きくなり、昭和27年8月、ウヰスキーを売る会社が、大日本果汁(株)でもあるまいと「ニッカウヰスキー(株)」と社名を変えました。

昭和29年に大衆商品としてニッカ初めての“丸びんニッキー”を発売。
昭和30年11月、古い原酒を生かしたウイスキーとして“ゴールドニッカ”(現G&Gの前身)を発売。
翌年、当時1級の原酒混和率の上限ぎりぎりにまで使用した“ブラックニッカ”を発売します。

この頃は戦後第一回の洋酒ブームでした。都市の盛り場には雨後の竹の子のように“トリス”“ニッカ”“オーシャン”などの名を付けた軽バーが数を増していました。「この頃の需要は2級ウイスキーで、原酒混和率5%以下の私の考えるウイスキーとはほど遠いものでしたが、経済成長が進みながらも当時の所得レベルでの需要であったと思う。しかし、2級ウイスキーの浸透が、さらに良い品質のものを要求する次の時代のステップになったことは間違いない。」(竹鶴)

 


1970(昭和45)年 スーパーニッカ発売

谷村新司「昴」のCMソングも重なり大ヒットとなる。

高級(特級)ウイスキーが売れ始めた高度急成長まっただ中の1970(昭和45)年、スーパーニッカを発売。時の池田勇人首相(故人)は広島の竹原中学(旧制)時代に、竹鶴と同じ寮に暮らしたこともある後輩でした。当時の中学の上下の規律は軍隊に近い厳しいもので、竹鶴は3年の時に寮長をしていて、池田元首相は下級生で蒲団の上げ下ろしなどの世話係をしていたそうです。こうした同郷の仲ということもあり、池田首相はニッカウヰスキーファンのひとりで、竹鶴とはずっと友情が続きました。外国の高官が来日した時、スーパーニッカを自慢げに飲ませるのが池田首相の楽しみの一つでした。英国のヒューム副首相が来日した際に、池田首相主催のレセプションで、「50年前、頭の良い日本の青年がやってきて、1本の万年筆とノートだけで、英国のドル箱製品であるウイスキー造りの秘密を盗んで行った。」と、池田首相に言った話は一時有名になりました。ウイスキーの本場英国の副首相が竹鶴とニッカウヰスキーを認めているからに他ならないからです。(^^)

 

1972年札幌オリンピック…「笠谷やりましたー!金メダルー!金メダルー!」笠谷選手が金メダル、金銀銅を日本が独占しました。テレビの前で隠居した竹鶴翁は満足げに見入っていました。笠谷幸男選手(当時28歳)は余市工場で働くニッカの第一号のジャンパーだったからです。

竹鶴は余市の町や北海道の発展に貢献したエピソードとして、戦争中にジャンパーは例外なしに優秀な飛行士になっており旧制余市中学校(余市高校)の校長と陸軍の将校がやってきて中学生用のジャンプ台をつくってもらえないだろうかと竹鶴に頼みに来ました。さっそく建設したのが桜ヶ丘シャンツェです。竹鶴シャンツェと呼ばれ、余市の中学生達は子供の頃からジャンプを練習する事ができました。それは笠谷選手が生まれた年でもありました。秋元信行、新田政夫、笠谷昌生(兄)、左藤昇など名選手が生まれていきました。現役の舟木選手も余市出身です。後に笠谷シャンツェと名付けられました。こうして余市や北海道がジャンプ王国になった功労者でもあります。彼は趣味としてゴルフ発祥地でもあるスコットランドにいた事でゴルフも嗜み、スキーや熊狩りの狩猟など多才でした。

「竹鶴政孝」。もし彼がいなければ、日本の本格ウヰスキーなどの洋酒業界は、果たして存在していたのでしょうか。竹鶴さんこそ大正から昭和にかけての本格洋酒業界にとんでもないバッケンレコードを残した偉大なる大ジャンパーであったといえるでしょう。

リタの死後18年後、1979年8月29日、政孝も没しました。美しい丘から余市の町と余市工場を二人は眺め続けています。

◇ ◇ ◇

 そして2001年、ウイスキー愛好家の団体「ザ・スコッチ・モルト・ウイスキー・ソサエティ(S.M.W.S.)」は、名のとおりスコッチモルトの魅力を紹介し世界中にファンを広げていくことを目的としていること、また認定の基準が極めて厳しいことから、スコットランドのモルト以外ではアイルランドの蒸留所が一度選ばれたことはありますが、スコットランドとアイルランド以外では初めて国外で認められた116番目のウヰスキー蒸留所として余市モルトが認定され、「世界最高のモルトである」と賞賛されるまでになりました。

 

「良いウヰスキーを生む方法は、一つしかない。ただ厳しい風土で静かに寝かし続けること」。

2004年、ニッカウヰスキーは創業70周年を迎えました。日本のウイスキーの父、竹鶴政孝の竹鶴スピリットは今も何ひとつも変わることなく、受け継がれていきます。

 

参考文献
ニッカウヰスキー50周年企画「竹鶴リタ物語」(1985)
「ウイスキーと私」竹鶴政孝 1972(昭和47)年初版(非売品)ニッカウヰスキーよりいただきました。
拙者 余市・仙台見学見聞も加味しました

店長の蒸溜所訪問記

サントリー山崎蒸留所
ニッカウヰスキー余市(北海道)工場
ニッカウヰスキー第二の故郷 宮城峡蒸留所(仙台工場)見学

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