天寿酒造(株)/秋田県・由利本荘

蔵元の概要

会社名

天寿酒造(株)

所在地 秋田県由利本荘市矢島町城内字八森下117
創業年 明治7年(1874年)
杜氏名 一関 陽介
紹 介

この酒で百歳までーー霊峰・鳥海山の麓で醸される秋田の美酒

城下町の風情を残す由利本荘市矢島町。霊峰・鳥海山の懐に抱かれて、豪雪が生む澄んだ空気と清冽な水に恵まれた地で、蔵人自ら愛情込めて米を育て、芳醇で軽快な旨口の酒を醸す。

環 境 秋田県南部、東北を代表する秀麗な鳥海山が雄大な裾野を広げ、清流・子吉川が貫流する山間に「天寿」の里矢島町があります。夜空を見上げれば空気は澄みわたり、国内で二番目に星が綺麗に見える町と環境省に認定されたこともあるなど、清らかな自然に恵まれた土地で、夏は鳥海登山客、冬はウインタースポーツで賑わいます。昼夜の気温差が大きいことから、良質の野菜や米も育ち、山菜やキノコなど山の幸も豊か。

江戸時代には讃岐から入った西国の名雄・生駒氏が13代にわたって治めた矢島藩の城下町として栄え、東北には珍しい関西風の行事や史跡が今に残されています。

歴 史 蔵の創業は明治7年(1874年)。矢島藩御用達の造り酒屋であった本家から初代・大井永吉が幕末に分家し糀や濁酒を醸していましが、2代目・大井永吉のときに秋田県令より免許を受けて清酒醸造を開始。昭和初年に「玉乃井」「稲の花」などの銘柄を「天寿」に統一しました。酒銘には飲む人が百の齢まで幸せに生きることを願い、歳月だけが刻み込むことのできる風格が込められ、その文字は、中国・泰山の磨崖に後魏の時代に刻まれた金剛教の拓本によります。戦時中の昭和18年(1943年)、企業整備により由利酒類製造(株)の矢島第一工場となり、戦後の食糧難の頃にも夜具布団と交換し原料米を買い入れるなど良心的な酒造りに邁進。昭和31年(1956年)に再び独立操業し再スタートを切り、現在、6代目当主のもと、良酒造りに励んでいます。
造り 「酒造りは米造りから」という信念のもと、地元農家や蔵人の協力を得て昭和58年に「天寿酒米研究会」を結成。その一部は合鴨農法を取り入れた無農薬栽培するなど、良質な酒造好適米《美山錦》や《酒こまち》を栽培し、特定名称酒はほぼすべてこの米を使用し、全量自家精米しています。仕込水は鳥海山の万年雪が生み出す清冽な伏流水を使用。矢島町には昔から「森屋」と呼ばれる酒造りに適した良水の湧出する一角があり、ここに掘られた3つの井戸からの軟水が、きめ細かくまろやかな旨口の酒質を生みます。秋田の酒の父と言われる故花岡正庸氏直伝の秋田型低温長期発酵を基本に、近年は花酵母の研究にも努め、ホッとする、安らぎの酒を醸しています。

データ引用:日本名門酒会

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