正直に言ってそれほどすごい神さんとは子供時代から最近まで思っていなかったのですが、氷ノ山を囲む4国の総社であったならすごい神社なのです。なお東構の神社では舂米の臼がなぜか旧の字になっていて、本来は若桜町の舂米神社の分社なのだから、臼が正しいのではないのかと思うのだけれど、どうしていつのまにか旧になったのだろう?また、舂の漢字は存在するが「臼」の部分を「旧」にした漢字は第一、第二水準漢字には存在しません。

02.01

2008-07-14 17:51
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阿瀬渓谷紅葉まつり

当店のある日高町には、大小48の滝がある阿瀬渓谷という美しい紅葉の名所があります。夏でも涼しくてさまざまなかたちの滝が集まっており楽しいです。

歩いて回るにはちょうどよい距離で中学生の時に友人と自転車に乗って行きました。

その頃はまだ阿瀬渓谷は地元の人しか知られていなくて、阿瀬までがとても遠く感じたし、奧の金山跡には分校跡があって昭和30年代の少女マンガ雑誌がそのままになって置いてありました。すぐそばには金山鉱山抗があったのを覚えています。


毎年、「阿瀬渓谷紅葉まつり」を開催されます。

【開催日】
11月4日(土)〜5日(日)
9:00〜16:00

地元の方々が
栃餅ぜんざい、やまめの塩焼き、山菜弁当、うどん・そば、
やきいも、蒸し栗、コーヒーなどを販売します。

11月5日は「阿瀬渓谷ウオーク」が開催されます。

07/03/06

但馬国分尼寺

豊岡市日高町山本(日高東中前)

日高東中校門前に国分尼寺の礎石があります。

伊能忠敬が測量した時には7個の礎石が確認できたと記してありますが、現在は1個のみが残っています。

但馬国分寺跡

豊岡市日高町国分寺

石碑には昭和七年と記してあるので、それ以前から発見されていたものでしょう。

付近は復元に向けて整備が進められつつあります。

くわしくは但馬国府国分寺館に展示してあります。

祢布(にょう)城山

豊岡市日高町祢布

当店の国道482号交差点北側に、いかにも城山らしい頂上が平坦な小山があります。東西南北が見渡せる位置にあり、楯石神社があります。垣屋氏の宵田城が南に向かい合い、国分寺城が東にあります。

私はここにお城があったことを最近まで知りませんでした。というか但馬では入り組んだ地形のためか至る所に城跡があります。

城主は高田次郎貞長 南北朝期

城主は高田氏ですが、旧名は高田郷といいましたのでこの領地の氏族だったと思われます。創建時期からすると垣屋氏が勢力を強める以前の城ではないでしょうか。

麓には、かつて但馬国府が置かれた好立地で、但馬国府国分寺館があります。


グンゼ日高工場跡



但馬はかつて養蚕が盛んで、京都府綾部市に本社を置く(現在は大阪市)グンゼ製糸(株)の工場が但馬にも多くありました。
山陰本線沿いに、梁瀬工場、養父工場、八鹿工場、そして日高工場です。それらの工場は梁瀬を除き平成になって閉鎖されました。

最近まで事務所棟が残っていましたが、赤煉瓦の貯水施設のようなものだけ残っています。


日高町商工会館



 1935年(昭和10年)頃に旧日高町役場として建設。1982年(昭和57年)まで利用され、新庁舎移転に伴いその役目を終えて、日高町商工会館として使われています。歴史を感じる階段、会議室の照明、昇降エレベーターが今も動いています。たぶん日高町内で最古の近代建築物です。
 国道バイパス完成後は車の通行量は減りましたが、日高町の中心に位置し、特急バスも前に停車します。青年部時代はよく通いました。なつかしいです。

和田山駅機関庫


朝来市和田山町 1912年(明治45年)に機関庫と給水塔、転写台、引き込み線などが建設された。 1991年(平成3年)まで約80年にわたり蒸気機関車やディーゼル機関車の点検修理のための施設として利用された。現在は、倉庫として利用されている。

但馬の現存する鉄道施設として最古のひとつではあるが、山陰本線施設当初から一緒に歩んできた建物だけに利用されないまま朽ち果てるだけであればかわいそうだといつも思う。

2008/08/03

豊岡市で10日、2つの式

 JR西日本福知山支社の新しいワンマン車両(2両編成)の出発式が10日、JR豊岡駅であった。11日から同支社管内の山陰線や舞鶴線、福知山線の篠山口駅までの3路線で本格的に運行をスタートさせる。

  同支社での新車両は、旧国鉄時代の1977年に「キハ47系気動車」を導入して以来初となる。車両は、神戸線や京都線で「新快速」などに使用されている「223系」をワンマン仕様にした。車両は、ドアの開閉予告チャイムなどのバリアフリー対策や、走行時の使用電力を低減し使用エネルギーを節約する特徴などを備えている。現在3路線を走っている「113系」車両の5〜8割が、「223系」に更新される。

  出発式ではJRや市関係者など約80人が出席。大西邦和・同支社長が「実に30年ぶりの新車両の導入。地球環境に優しいだけでなく、05年の福知山線脱線事故の教訓から、車両の強度も高めています」とあいさつした。テープカットの後に試乗会があり、市立城南、西保育園児らが真新しい車両に乗り込んで、豊岡駅−城崎温泉駅間を往復した。

福知山電車区所属車
クモハ113形(3800番台など)ワンマン車両から クモハ223(Mc)(5500番台)、クハ222(Tc)(5500番台)のワンマン車両2両連結編成。
国鉄113系電車(こくてつ113けいでんしゃ)とは、1963年に日本国有鉄道(国鉄)が開発した直流近郊形電車。


 また同日、豊岡自動車道:早期完成訴える大会が、豊岡市立野町の豊岡市民会館文化ホールで開かれた。但馬地方の3市2町から約1000人が参加した。

  但馬各市町などでつくる実行委員会が主催しており毎年恒例の大会。参加者は少子・高齢化の進行や過疎など、但馬地方が置かれた厳しい状況を食い止めるために、高速交通ネットワークの整備の必要性を訴えた。また「活力ある地域づくりをより推進するため、早期整備に格別の配慮がなされるよう強く要望するとともに、我々も魅力ある地域づくりに取り組む」などとした決議文も採択した。

  同自動車道は春日(丹波市)−豊岡南(豊岡市)が計画されており、一昨年に春日−和田山(朝来市和田山町)まで開通。現在、和田山−八鹿(養父市)間でトンネルなどの工事が進められている。

 地方の場合、近距離であればマイカーを利用するケースが多い。鉄道利用は遠距離に限られる。それに対応するように、国鉄時はディーゼル機関車が客車を牽引する長距離普通列車が運行されていたが、JR移行後はワンマン気動車により、山陰線の場合、城崎温泉〜福知山、福知山〜篠山口、福知山〜園部(福知山線)、福知山〜東舞鶴(舞鶴線)、福知山〜天橋立(KTR)、和田山〜香寺間る区間運転に切り替えられた。

  ガソリン高騰は地方に悲鳴をあげているが、地球環境でも鉄道利用を今一度見直してみる契機になるといいのでは。舞鶴・宮津・豊岡・鳥取間の自動車道路もこれと同様、区間利用は多くても京阪神とのアクセスとして需要はあるが東西間利用は少ないだろう。

  山陰道は律令時代の五畿七道の一つで、本州日本海側を通り畿内と山陰道諸国の国府を結ぶ官道であり、七道の中で小路とされた。現在では、国道9号が、ほぼ律令時代の山陰道を継承したが、八鹿〜鳥取間は山岳地帯であり鉄道における山陰本線のルートは当時としては長いトンネル建設が困難なことを理由に、ほぼ日本海側に沿って敷設されており、萩を経由するルートとなっている。

わが区にある小さな神社は「舂米神社(つくよね)」といいます。鳥取県若桜町舂米から分社されました。

【たじまる】 岩船神社



地元でも知らない場所があります。ぶらっと訪ねてみる。
そんなページです。
但馬を訪ねる、略して『たじまる』です。

1回目は、岩船神社。
所在地:豊岡市日高町道場
祭神:磐船長命(いわふねおさのみこと)
近所に久田谷(くただに)という地名がある。全国でも珍しい粉々に破壊された銅鐸が出土した場所です。
そのそばを流れる稲葉川(いなんばがわ)の対岸には、物部氏ゆかりの小さな岩船神社があります。
つい最近までこのお宮さんの存在を知らなかったのだ。

稲葉川は、旧気多郡(旧日高町全域・豊岡市・竹野町の一部)の、最も奥深い村落である稲葉区から発し、但馬の大川、気多郡は円山川(まるやまがわ)に注ぐ郡域です。
その銅鐸発見場所と神社を訪ねてみることにした。

付近の人に聞いてみると、区ではもう一つの神社がありそちらが秋祭りや区の中心になっていて、こちらの神社は普段訪れる人は少ないのだそうだ。

稲葉川を渡り、車では通れない平坦な道を川沿いにしばらく歩くと、鳥居が見えてきた。神社は竹藪の中に東を向いて銅鐸発見場所の方角を見守るように建っています。これは河内・日下や大坂交野市の磐船神社となどと同じく、銅鐸の見つかったすぐそばに物部氏ゆかりの神社が存在することを実証している感触を得た。

石段を登りきりそこから見渡せば、かつて気多氏の居館があったかも知れない久田谷の広い田園地帯が見渡せるのである。訪れた日は蒸し暑い真夏だったが、境内は静寂さを感じ時が止まったようだ。気多王と一族の栄華を誇ったであろうこの地をあたかも見守っているかのようにも思えたのだった。.

2005/07/20


【たじまる】コウノトリが生息できる環境つくり



コウノトリの郷公園の周辺の田んぼでは、コウノトリのエサである生物復活のために、無農薬による米栽培泉源が周辺農家の協力によって始まっている。
コウノトリの仲間であるサギが沢山いることからエサがあることが伺える。

いよいよ30数年ぶりに再び日本の田園で、羽ばたいていた大鳥コウノトリ(国指定特別記念物、兵庫県鳥)の自然回帰に向けて、9月より試験放鳥が始まる。

2005/08/03

【たじまる】こうのとり もうすぐ試験放鳥ということで見てきました



コウノトリ郷公園に初めて行って来た。

なぜかというと、世界でも珍しい取り組みである自然放鳥させるということは、あらためて凄いことだと思うから。

しかし、郷公園から実際の飼育エリアまでは歩くには遠く、一般車両は入れない。なるべくコウノトリに近づいて欲しくないという配慮なのだろうか。

谷間にゲージが並んでいます。
公園入口にあるポストがかわいい。

2007/08/03

【たじまる】出石古代館に行って来ました

お隣の出石町へ行く機会があったので、出石町歴史館に行って来ました。

この場所は、但馬の歴史上貴重な「ハカザ遺跡」や山名氏ゆかりの「此隅山城」に近いところにあります。

わが日高町の但馬国府国分寺館は入館料500円です。出石古代館は町民のコミュニティセンターとして利用されている施設で、丹治はその一部であり入館料は無料でした。


ハカザ遺跡から古代船団を描いた木簡が出土しました。古代はこのあたりは日本海の入り江で大陸や日本海沿岸とつながった重要な場所だったのではないかと思うと国衛(府)か郡衛が置かれていた場所ではないかといわれています。

2004/04/11

【たじまる】香美町の風景1−但馬牛



蘇武トンネルを抜けてドライブがてら湯村温泉へ向かいました。
何年ぶりで村岡地区熊波へ行きました。ここは我が家のルーツです。おじいさんが、ここから日高町へ蘇武峠を越えて移り住みました。今では車であっという間に村岡へ行くことができるようになりました。同じ姓が多いのですがもう時が経ち親戚・知り合いは皆無です。

途中で但馬牛が飼われている牛舎がありました。
とってものどか。

2006/07/08

【たじまる】香美町の風景2−余部鉄橋



湯村までドライブの帰り、同じルートで帰ってもつまらないので、香住へ。もうすぐ掛け替えとなる余部(あまるべ)鉄橋を見てきました。

余部鉄橋は、JR山陰本線最大の難所で日本一の高さを誇ってきました。建設当時は最先端技術を結集して造られた鉄橋です。美しい山陰海岸でも切り立った岸壁が浜辺に迫る陸の難所です。

十数年前、突風がこの鉄橋を通過中の列車を襲いました。かつて一度もない転落事故が起きてしまいました。

長い歴史の中で風雪に耐え抜き親しまれてきたこの鉄橋は、来年からコンクリート教に付け替えられます。

2006/07/08

【たじまる】涼しい風景1



蒸し暑い時節です。涼しい風景はいかがでしょう。

地元周辺の2つの瀧をご紹介します。
国道482号 日高町十戸
ニジマス釣り場があります。

2006/07/08
「十戸(じゅうご)の滝」

【たじまる】 酒垂神社



酒垂神社(さかだる)神社
豊岡市法花寺725
国指定重要文化財
祭神・物部韓国連久々比命(もののべからくにのむらじくくひのみこと)

コウノトリの郷公園がある祥雲寺区の隣の法花寺の奧にある。
酒垂神社は名の通り酒造神なので、一度訪ねてみたかった。
御由緒は、久々比命が五穀豊穣を祈って酒造神、酒弥豆男命を祀ったとされる。境内に隣接して酒米を作った神田があり、酒造用水として奧の谷あいに湧く清水を使っていた。
神殿の入口左右に鶴石・亀石がある。

2006/08/04

【たじまる】 大石りく遺髪塚



忠臣蔵で知られる大石内蔵助の妻りくさんの遺髪塚があります。
りくは、寛文9年(1669)に豊岡藩家老屋敷で、筆頭家老石束右衛門毎公(つねとも)の長女として生まれました。18歳で播州赤穂藩の筆頭家老・大石良雄に嫁ぎました。

元禄14年(1701)、藩主浅野内匠頭が江戸城松の廊下で吉良上野介に対し刀傷におよび、即日切腹となり、赤穂藩お家断絶となった事件がりくさんの生涯を左右しました。

夫の切腹後は再婚せず、髪を剃り遺児の養育に専念し、良妻賢母で武士の妻の手本とされて称えられました。

正徳3年(1713)、次男太三郎が広島藩浅野家に仕官し1500石を賜る事が決まり、りくも広島で暮らしました。
元文元年(1736)11月19日、68歳の生涯広島で閉じました。墓は広島の国泰寺墓地にあり、子供達と一緒に眠っています。

正福寺の山裾にひっそりとたたずむ遺髪塚は、中央がりくさんの遺髪塚、向かって右が吉之進、左がくうの塚です。三回忌を迎えたときに石束家のお寺・正福寺にりくたちの遺髪塚が建てられました。その後遺髪碑は荒廃していましたが、明治43年(1910)地元有志によって再建され、両脇にはくうと吉之進の碑も建てられました。正福寺にはりくさんや内蔵助、主税(ちから)の肖像画やりくの座像など、ゆかりの品が保存されています。
毎年「大石りく祭」が豊岡市で盛大に行われます。
遺髪塚・正福寺へは車で行くと便利です。駐車場有り

2006/08/04



コウちゃんとオーちゃん

豊岡市では「コウノトリ」、「オオサンショウウオ」の新キャラクターの名称が「コーちゃん」、「オーちゃん」に決定したと発表した。

自分もこうちゃんと呼ばれているので、ちょっと親しみやすい。

さてふと思った。
兵庫国体のマスコット「はばタン」はいまどうしているんだろう?
但馬理想の都の祭典で活躍したコウちゃんは、コウノトリの郷公園の市立コウノトリ文化館に保護されているらしい。

【たじまる】 但馬の國伝説をアップしました

焼酎「天のひぼこ」のラベルを使わせていただいております。

「気多伝説」という趣味のページが長くなってきたので、「但馬乃国伝説」に分けてアップしました!

ファヴィコンナビを無料サイトからお借りして専用タグアイコンに使わせていただきました。素敵なアイコンありがとうございます。
ブラウザはfirefoxで表示確認しています。

【たじまる】 トキワ へしこさば

tokiwa_hesiko.jpg

久しぶりに店で販売しているさばへしこを食べた。
子供の頃は、地元では普段着の食べ物だった。どちらかというと子供にとってから食って苦手だったし、おかずとして食べたいものではなかったが、お酒を飲み始めた頃からこういう味が美味しくなった。
たまに思い立ったように食べたくなる。お茶漬けにするとご飯が進む。

へしこは、酒に鯖などの魚をぬか漬けにした保存食。子供の頃は珍しくなかった干しカレイやセコガニも、今はなかなかの値段である。季節があることは有り難いことなんだなぁと、ふと思う。

食べられる分だけ旬なものを収穫する。
そう思うと古代人の方がはるかに合理的で恵まれていたのではないだろうか。

地産地消、季節でないものを遠くから運び食べる。
残った弁当や売れ残った食品を大量に破棄する。
本当に必要なことなんだろうか?

【たじまる】 「詩経」の木簡、国内初出土

今朝の神戸新聞朝刊トップに載っていました。
ネットで調べてみるとほとんどの新聞にもトップで載っていました。

中国最古の詩集「詩経」に触れた木簡が国内で初めて出土し、同時に二百二点の木簡が見つかり、一つの遺跡では県内最多、全国でも二、三番目の木簡が見つかったそうです。

発見場所の祢布が森遺跡は当店のすぐそばにあり、1986年から十六点の木簡が見つかっていました。すぐそばに但馬国府国分寺館が建っています。なかには九九を練習したような木簡が見つかり、
四・七=二八を二四と記しています。その頃から九九があったことが驚きですが、間違っていることがなんともユーモラスです。

2008/06/21

【たじまる】 但馬のお城ページを作りました

但馬乃お城のページを作りました。
但馬のお城

2008/06/13

【たじまる】 廃線跡を辿る



あまりに好天なのでドライブがてら三方軽便鉄道後を辿ってきました。写真は久斗区内。市道になってまっすぐに残っています。

08/05/27

【たじまる】 気多伝説を更新しました



趣味の郷土歴史研究レポート「気多伝説」を書き直しました。
2002年頃にやり始め、気が付くたびに更新を繰り返しやっていますが、大幅に更新しました。ファビアイコンも初めて挑戦しました。
銅鐸をシンボルにしたアイコンです。

08/05/19

【たじまる】 田結庄氏と鶴城


豊岡市山本
鶴城があった愛宕山。山頂へは険しそうなので行かず。

山名四天王のひとり、田結庄氏(たいのしょう)是義は、我が日高町(旧気多郡)を治めた垣屋氏と仲が悪かったそうだ。
是義は愛宕山に鶴城を築いて居城とし、太田垣氏、八木氏、垣屋氏とともに但馬を四分して勢力を広げた。やがて山名氏が衰退しはじめ但馬に出雲の尼子氏が勢力を伸ばしてくると、尼子氏に味方した。他の三家が毛利方に味方した。
やがて織田信長の天下統一の過程で秀吉が中国平定・但馬平定の際に、織田党(山名・田結庄)と毛利党(垣屋・太田垣・八木)に分かれた。竹野城主垣屋豊続とも対立が熾烈になると野田合戦という代理決戦が起き、田結庄氏は敗れ勢力を失い没落へと向かいました。

鶴城という名前はコウノトリをさしていると連想する。コウノトリの神社、久々比神社や県立コウノトリの郷公園にも近いからだ。

08/05/09

【たじまる】 三方富士と鶴ヶ峰城

三方富士

日高町を神鍋方面へ向かう途中に、ひとつだけ一風変わった山が見えだします。標高はそんなに高くないですがよく目立つ山です。
鶴ヶ峰といいいますが、地元では三方富士という愛称の方が通っています。

かつてここには「鶴ヶ峰城」という城があったそうです。日高町は旧気多郡といい、垣屋氏の本拠地「楽々前(ささのくま)城」があった佐田区は左にありますが、その少し奧の観音寺区と殿区の間に位置し、まさに山城にもってこいの立地です。

08/05/07

【たじまる】 珍坂トンネル開通

日高町知見と八鹿町馬瀬間を結ぶ珍坂トンネルが開通したので先日通ってきた。
これによって日高町西部から八鹿方面へのアクセスがずいぶん短縮されました。

08/04/15

コウノトリ43年ぶりの自然孵化

豊岡市郊外の百合地地区人工塔で、1羽のコウノトリのヒナの孵化が確認されました。野外での雛の誕生は豊岡市では昭和34年以来、48年ぶり、国内では福井県小浜市での昭和39年以来43年ぶりだそうです。

07/05/21

【たじまる】 神門(かんと)神社



神門(かんと)神社
豊岡市日高町荒川
式内小社

荒川区は旧気多郡三方村の荒川地区にある古い神社。
日高町では珍しく神官がおられた神社です。

創立年月は不詳ですが式内小社に列し、明治五年に山王大権現の呼称を、現在の社名に改称し、同六年村社に列し、瓦葺きになったそうです。

境内には樹高35m、幹周り5.8m、樹齢300年といわれる巨大な銀杏の木や原生林がそびえ立ち、遠くからでも一際目を引く広い境内です。

近くに垣屋氏の菩提寺である隆国寺があり、垣屋氏の信仰を受けたでしょう。

07/03/06

優勝候補 6連覇をめざす群馬県チーム来町♪



のじぎく兵庫国体が明日開幕する。
豊岡市日高町は女子ソフトボール大会会場となり、全町の各区が各出場県を応援します。我が東構区は隣接浅倉区と赤崎区で5連覇をとげら優勝候補の群馬県チームの応援することになりました。

宇津木監督や上野投手など北京オリンピック代表選手たちが目の前にいます。やや興奮!\(^O^)/

07/03/06

宵田十日えびす

但馬で唯一の戎神社が日高町にあります。

十月十日。今年も地元宵田区にある「えべっさん」に行って来た。
午前11時過ぎだったが、例年にないものすごい人出だった。
神戸ナンバーもあったので、遠くは丹波地方から来られている方だろうか。

福引きのくじは一人3本までと制限され、それも並んでいるうちに
足らなくなり、一人1本に制限された。
3本引いても毎年大した商品は当たらないのだが、今年は1本で
一人用の釜飯釜が当たった。

ここ数年は福笹を買って帰っていただ、飾りにくいので今年は
新型という売り子さんの声に引かれてこわいらしい福樽?にした。

Last updated 2007年01月10日

【たじまる】山名氏四天王 太田垣氏竹田城(虎臥城)

山城で全国的にも有名な竹田城は、山陰道と播但道が分岐する交通の要所にそびえ立ち三方が見渡せる。
 但馬国はその頃、近畿と中国地方に日本全国60余州の内11カ国を所有し「六分一殿」といわれた山名氏氏の支城で、播磨の赤松氏、丹波の細川氏と、山名氏と幾度も乱を起こした相手との出陣の砦のようなものだったとか。四天王のひとり太田垣氏が初代城主で朝来郡と生野銀山を収めた。
 四天王の垣屋氏が気多郡と金山の要、楽々前(ささのくま)城と城崎道の要、宵田城、竹野へ通じる轟城。
 八木氏が山陰道の八木川沿い養父郡を、田結庄(たいのしょう)氏が久美浜へ通じる愛宕山に築城し城崎郡を収めていた。

 のちに豊臣氏の但馬平定によって、秀長氏に与えられ、没後、播磨龍野城主赤松氏が城主の頃に大修復が行われた。壮大な城郭はこの頃に13年の歳月をかけて築かれたもの。虎が横たわっているように見えるこよから別名「虎臥城(こがじょう)」と呼ばれる。

清酒 虎臥城
巨人の前に虎がいるということで阪神ファンにもおすすめ(^^)。

(ちなみにその折りに筆頭家老といわれる三日月町中島砦の中島重右衛門は、母方の本家で、おじいさんまで代々中島重右衛門を名乗り、13代目の伯父からあまりにも古くさいと言うことで重夫、弟の伯父が重門になった。先日叔母の一周忌で墓参りに行って、久しぶりに会った従兄弟とそんな話題になった。(^^)
中学・高校の同級生に谷垣、田結庄、太田垣がいた。今思えば子孫なのかも。。。 )

Last updated 2006年09月20日

06/09/20

ジャージー牧場 そら

 もう秋らしくなって、場違いな話題。(;^_^A)
北近畿では有名な牛乳屋さん平山牧場が経営しているショップ。
とれたてのミルクやアイスクリームが食べられる。

平山社長は、十年ほど前に地元経営者の会で例会の講師として
お呼びしたことがある。

そんな懐かしさもあって、あまりの暑さでふいに寄りたくなった。
ジェラードダブルで350円。

Last updated 2006年09月16日

日本三景天橋立

日本三景天橋立

籠(この)神社の前には日本三景天橋立が見える。天橋立はかつて籠神社の社領で、古くからこの地に元伊勢籠神社が建てられた。神秘的な日本の原点といえる風景である。

 丹後一の宮元伊勢籠(この)神社。伊勢神宮が一時期置かれていた元伊勢のひとつといわれる。丹後国一宮、式内社(名神大)。旧社格は国幣中社。天橋立の西側岩滝町に鎮座し、かつては天橋立も含めた広大な境内をゆうしていた。岩滝は、国府、国分寺も置かれていた。

天照大神がまずこの地に滞在されたという言い伝えがあり、天皇家ゆかりの神社ということで、拝殿には菊の御紋が入った幕が掛けられている。

 小さい時に(父が単身赴任で宮津税務署勤務だったので)母と宮津の笠松公園に登った記憶があるので、多分お参りしていると思うが、記憶はない。

傘松公園ケーブルカーのりば

お土産やさんや天橋立を見た風情が昔と変わらないようで懐かしかった。

本殿

Last updated 2006年09月03日

Last updated 2006年09月07日

知れば知るほど奥が深い出石

 出石は「六分一殿」とよばれ、山陰などを主に12国を収めた山名宗全の本拠地。
その京に最も近い但馬国にある城下町。その頃の城は町の手前にある此隅山にあった。現在の城跡は、木下秀吉の但馬征伐により攻略された後、町の中心部に位置する有子山に築かれたものである。


山名氏は室町幕府の斯波・細川・畠山の三管領とあわせて、赤松・一色・山名・京極氏が交替で侍所所司に任ぜられるようになったが、将軍家の跡目争いで幕府側の細川勝元と対立し、京都を舞台に11年間も及ぶ応仁の乱が起きた。


出石の名物は出石皿そばで、こじんまりとした界隈に30軒以上のおそば屋さんがある。白磁の出石焼きの入れ物に一人前で皿そばが5枚、ねぎ、ごま、山芋、生卵をお好みで加えて食す。

小さい頃から母や姉たちと年に何遍かそばを食べに来ていた。そのころの小さな贅沢だった。

もともと信州上田藩から仙石氏がお国替えとなった際、そば職人も一緒に出石へ移住したのがはじまりだとされている。

城崎〜出石が観光コースとなっている。
観光名所って、「実際訪れてみると、(な〜んだこんなもんか)と思うことが多い。でも、知れば知るほど奥が深いのが出石。

宗鏡寺

山名と細川の応仁の乱
沢庵漬けで知られる沢庵和尚生誕し家光に厚遇されながら名声を好まず出石に度々帰り、別名沢庵寺と呼ばれる宗鏡寺(出石藩主仙石氏の菩薩寺)
仙石騒動
天気予報の創始者、桜井 勉
桂小五郎潜居地
東大初代総長、加藤弘之出身地
衆議院議員として第二次世界大戦前の戦闘突入に反対し、粛軍演説を行った斉藤隆夫
などすごい歴史的な出来事や登場人物を輩出している。


Last updated 2006年08月20日

八木城趾

八木城趾 八鹿町今滝


 今日は午前中は叔父の一周忌の法要と、午後からは左官屋をしていた祖父の一番弟子で、遠い親戚にあたるおじさんの葬儀が重なる。
重なったので一周忌法要は母が出席することにしていた。

余裕ができたので出席することにした。
高校の恩師(2年3年の担任)が、この家の同じ苗字の遠縁にあたり、「法事で一度顔みたいな」と聞いていたので、久しぶりに再会できるのを楽しみにしていたこともあったからなのだ。
しかし都合により、遠縁はご遠慮いただき近親者のみとなり、会えなくなったので残念だ。

この親戚の目の前に八木城跡がある。
付近の神社シリーズがほぼ終わり、城跡へと移行しているところで帰り際に山頂だけスナップ。

八木氏は、南北朝の争乱(室町)時代から戦国時代(安土桃山時代)には、但馬山名氏に属して、山名氏の四天王(太田垣、八木、垣屋、田結庄)の一人として、但馬に勢力を誇った。
からにかけての城跡があり、昔から養父郡内における政治的中心地として利用されてきた。

Last updated 2006年08月20日

但馬一の宮−出石神社

豊岡市出石町宮内

出石神社は、近いこともあり、区内の神社を除けば最もお参りしている但馬一の宮です。

祭神は、円山川河口を切り開いたとされる天日槍(アマノヒボコ)

出石が改良工事の際に出土した鳥居柱

社門に飾ってある。

拝殿と本殿

06/08/15


朝来市埋蔵文化財センター「古代あさご館」

朝来市埋蔵文化財センター「古代あさご館」

7月22日に開通した北近畿豊岡自動車道和田山〜丹波市間(無料)に伴い、山東P.A.(道の駅但馬のまほろば)が完成した。そのエリア内に朝来市内で出土した埋蔵文化財を収蔵展示した「古代あさご館(無料)」を見学する目的で、初めて山東I.C.まで通ってみた。

池田古墳、城ノ山古墳、茶すり山古墳などが展示してある。平成14(2002)年、北近畿豊岡道建設工事の際に、このサービスエリアの近くから、「茶すり山古墳」が発掘された。未発掘の埋蔵品は、銅鏡や玉類、刀剣、甲冑、盾など大量に出土した。円墳で規模も約90mと大きく、池田古墳に次ぐ「但馬の王」の墓と考えられるそうだ。

「古代あさご館」には、これらの銅鏡などの埋蔵品が展示してあるので、休憩がてら見学はおすすめ。

Last updated 2006年08月12日

兵庫県で4番目に大きい池田古墳

(鳥取方面に向かって)

 国道9号線の朝来市和田山町内に「池田橋」という銀色のアーチ橋と、名前もない小さなトンネルがある。橋の下には池田古墳が、トンネルの上には城ノ山古墳がある。両古墳は、昭和46(1971)年、国道9線バイパス建設工事に伴い発掘調査が行われ、池田古墳は、墳丘のの長さ約141m回りをめぐる周濠を含めると、全長約170mにも及ぶ前方後円墳で、但馬では最大、兵庫県内でも五色塚古墳(神戸市灘区)、壇場山古墳(姫路市御国野町国分寺)、雲部車塚古墳(篠山市東本庄)に次ぎ4番目の大きさである。

 4世紀末に造られた池田古墳は、巨大な前方後円墳であり、古墳の形や埴輪など畿内的な要素が多いため、畿内から派遣された最初の「但馬の王」の墓とされる。

城の山古墳

池田古墳の北側に隣接。下をトンネルで通過。

 池田古墳の手前に名もないトンネルがある。この上が城ノ山古墳である。この古墳からは、大阪、奈良を中心とした4世紀の古墳に共通する埋蔵品と埋葬方法であることから、中央の勢力下に取り込まれていたと考えられ、「南但馬の王」の墓である可能性が高いとされている。

Last updated 2006年08月12日

こうのとりの神社−久々比(くくひ)神社【国指定重要文化財】

住所:豊岡市下宮

祭神:久久遲命 一説には天湯河板挙命を祀るともいう
式内小社。日本で唯一、コウノトリに縁のある神社。
室町末期の建物と推定され、三間社流造の本殿は、中嶋神社・酒垂神社とともに国の重要文化財に指定されている。

コウノトリ伝説

 日本書紀によれば垂仁天皇の御字二十三年の冬十月、天皇が誉津別皇子(ホムツワケノオウジ)を伴い宮殿の前に立たれた時、鵠(クグヒ=コウノトリ、白鳥の呼称)が大空を鳴きながら飛んでいった。その時、皇子が「これは何という名の鳥だ。」とお問いになったので、天皇は大変喜ばれ、懐手の者に、「誰かあの鳥を捕まえて献上しなさい。」とおっしゃいました。

 天湯河板挙(あまのゆかわたな)が「私が必ず捕らえて献上します。」と申し出て、この大鳥が飛び行く国々を追って廻り、出雲の国で捕らえたといい、あるいは但馬国で捕らえたともいわれる。コウノトリを捕らえ、献上したのである。その時に息子は三十歳であったが、まだ言葉を話すことができず、まるで赤ん坊の鳴き声のような声でしかでなかったが、この日初めて人並みのことばをお話しになられたのである。

 このようにコウノトリは霊鳥なのでその棲んでいる土地を久々比(ククヒ)と呼び、その後この土地に神社を建て、木の神「久々遅命(ククノチノミコト)をお祀りした。これが久々比神社の始まりであった。

 ところで、その頃豊岡盆地は、「黄沼前海(キノサキノウミ)」といって入り江であった。下宮はその入り江の汀(なぎさ)であった。また、そのあたりは樹木繁茂し、木霊のこもるところ、神自ら鎮まり座す景勝の地であった。私たちの先人が、この自然の神秘と霊妙を感得して、木の神「久々遅命」を奉齋し、その御神徳の宏大にしたのも当然のことであろう。


Last updated 2006年08月12日

豪商稲葉本家【京丹後市久美浜町】

 天橋立に行く途中、如意寺・日切不動尊に久しぶりに寄ってみたくなり、久美浜の町を通っているとすごい豪邸が目にとまった。何だろうと不動産の帰路に立ち寄ってみた。

 中を覗いてみると作務衣を着た女性が「いらっしゃいませ!」と声をかけられた。

平成13年に14代当主に当たる稲葉昭次氏から土地を買収、家財・文書を含む建物を提供いただき、歴史的建造物の保存修復と、町内外の人々が交流できる場として一部を改修し、平成15年から一般に開館(入館無料)したのだそうだ。玄関を入ると吹き抜け造りの天井には欅の太い梁に圧倒される。

平成13年に14代当主に当たる稲葉昭次氏から土地を買収、家財・文書を含む建物を提供いただき、歴史的建造物の保存修復と、町内外の人々が交流できる場として一部を改修し、平成15年から一般に開館(入館無料)したのだそうだ。玄関を入ると吹き抜け造りの天井には欅の太い梁に圧倒される。

 「どうぞ上がって見学していって下さい。」といわれたので各部屋や蔵を利用した資料室、庭、吟松舎といわれる母屋に隣接する建物や、そのスペースを利用して稲葉本家ゆかりの「ぼたもち」や「とろろ飯(要予約)」がいあただける。

あまり知られたくない穴場的な思わぬ安らぎのスポットを発見したようでちょっと嬉しくなった。でもこれだけ保存状態が良いのは珍しいのでは。

 稲葉家は織田信長のの家臣団、美濃三人衆の一人稲葉一鉄の縁者北回り船の交易、金融で栄え、久美浜縣(丹後・但馬・丹波・播磨・美作)が設置されると、勧産用掛頭取・熊野郡区長・但馬区長府議会議員、衆議院議員、明治鉄道施設等、久美浜町は元より京都府の発展に貢献した稲葉家。今日の今日まで知らなかった。


豪商稲葉本家

Last updated 2006年08月12日

粟鹿神社【朝来市山東町】

北近畿豊岡自動車山東I.C.を降りて、竹田へ抜ける旧道を少し行くと、但馬5社の一つ「粟鹿神社」がある。出石神社とともに但馬一の宮。名神大

日下部氏ゆかりの神社。

くわしくはこちらを

Last updated 2006年08月08日

銅鐸展−美と謎を考えるを観る

当店の斜め前に「但馬国府・国分寺館」がある。
豊岡市の銅鐸を集め企画展が開かれた時に初めて入館した。

今回は近畿内から、滋賀県野洲市大岩山遺跡でみつかった日本最大の銅鐸(複製)など、国の国宝や重文クラスの銅鐸が集められている。

同時に夏休み ミニ企画展「世界のクワガタ大集合!(無料)」も開かれている。

場所は第二期但馬国府跡とされる国道312号と482号の交差点。但馬国分寺跡も近い。
会期:7月6日(木)〜9月26日(火) 

Last updated 2006年08月03日

防犯灯ブルーライト第一号

地域によっては、自治会、町内会などと名付けているが、
我が旧町内では「区」としている。

区事務長の仕事のひとつに、区内の防犯灯(街灯)の管理がある。
区内から「家の前の街灯が切れました」という連絡で、指定電気屋さんに
交換を依頼する。
毎月1〜3カ所ぐらいで交換依頼が来る。

先日関西ローカルのワイド番組で、昨年5月に奈良県警の生活安全課の
ご担当者の方が、日本テレビ「謎を解け!まさかのミステリー」の中で、
▽お金をかけずに町から犯罪が消滅・・・なぜ?▽という内容で、
イギリスのグラスゴーのブキャナンで、街灯をオレンジ色から青に変えた
ところ、なぜだかひったくりや喧嘩がおさまったという実際の出来事があり、
それをみた担当の方が、問い合わせし、県警の上層部に企画を出して、
秋篠台という自治会で実験検証したところ、たしかに激減したのである。

このことが全国ニュースに取り上げられたことから、今年6月末で17都府県に
で実施されるようになっているとか。

青色のひかりは最も遠くまで届くこと。
落ち着かせる効果がある。
それに費用がかからない。

凄い!ぜひ区に働きかけ、わが区でもとり入れてみたいと思っている。
通りがけに防犯灯が青色になっていたので嬉しかった。
旧日高町内をはじめ兵庫北部では、防犯灯を青色に変更したのは、
おそらくこれが最初ではないかと思うのだ。

そんなこともあって、京都からの帰路 JR特急からの京都から
江原まで夜の車窓を注意して見る限り、ブルーの街灯は眼に
しなかった。
順次、青色防犯灯に取り替えていきたい。

06/04/20

区の舂米神社の歴史
大正四年四月日高村議会に新区設立を申請し、承認される。これをもって東構区は祢布(にお)区から新しい区として約30戸で独立。
議会申請第拾七号議案
 西気県道筋 岩中村所属 祢布村所属ヲ合ワセ行政上便宣ノ為一ノ行政区ヲ設置其ノ名称ヲ東構ト定ム
大正四年四月二十五日 日高村長 藤本俊郎(印)
認可ス(印)
大正12年自区内に神社を建てようという気運が盛り上がる。
大正15年6月現在地に社殿が落成。祭神は明治神宮の遙拝所に決定。
昭和二年荒川の神社に舂米神社の御心霊を奉持されていることを聞き、県の神社庁に登録され正式に舂米神社となった。
昭和50年10月築後50年を経過して屋根の損傷がひどかったため、瓦の葺き替え工事を行う。
-ひがしかまえ区誌より-